カテゴリー: 日曜版

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    ブックリヴュー:『ハンチバック』(市川沙央 著、文藝春秋 刊)

     2023年、第128回文學界新人賞、第169回芥川賞受賞作品を読んだ。ずっと友人から勧められていた小説である。右肺を押しつぶす形で極度に湾曲した身体の持ち主であり、両親が遺したグループホームのオーナー兼利用者の、主人公の井沢釈華の物語。釈華の身体の構造だからこそ見える景色が、勢いのある言葉でつづられている。性は生、ということも考えさせられる作品でもあった。子どもの頃から厄介な身体で、若い時に難病に、身体には障害を持つ私は、悲しく悔しい思いもたくさんしてきた。身体に関することで、健常者だったら、ここまでのどす黒い感情を持つのかと自問自答もし続けてきた。しかし、本書を読み、罪悪感を抱く必要などないという答えを見出した。少しだけ救われた。

    ISBN:978-4-16-391712-2
    Cコード:0093
    四六変型判 96ページ
    定価:1,300円+税
    発行:文藝春秋
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    ブックリヴュー:『蹴りたい背中』(綿矢りさ 著、河出書房新社 刊)

     著者が19歳の時に、2003年下半期芥川賞を受賞した作品。事前の情報はこのくらいで、読み進めた。周囲に溶け込めない主人公の初実ハツが、同級生の男子、にな川と心を通わせる話である。自分の高校時代は、暗い思い出ばかりだから、この年代の話は、構えてしまうのだが、過去の記憶が良いものに変わりそうなくらい、爽やかな印象の残る青春小説だった。「さびしさは鳴る」の冒頭も良かった。読了後、この書き出しが評価の高いものであることを知った。名作に触れられ、大変満足。

    ISBN:978-4-309-40841-5
    Cコード:0193
    192ページ
    定価:450円+税
    発行:河出書房新社
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    ブックリヴュー:『小さいおうち』(中島京子 著、文藝春秋 刊)

     子どもの頃に読んだ、バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』の表紙に似ている本という印象のまま、読む機会を逃していた小説である。映画も、その宣伝も、ポスターを見たくらいだった。昭和初期、開戦前から戦中、東京の平井家で奉公していた山形出身のタキが、大甥の健史に託すかたちで、当時を回想する話だ。仕えていた奥様の主人と何か起きるのだろうかなどを考えて読んでいたが、それは違っていた。奥様とその子息を大切にし、仕事をしっかりやる女性の姿が描かれていた。さらに、戦争が始まる前の、良い時代の東京の様子もよくわかった。タキの死後、健史は大伯母が過去に置いてきたあるものの謎を説く。真っ新な状態で読んでいる私にとっては、急に、推理小説を読んでいる感覚に陥る展開だった。そこには、幾多の重なり合う物語があった。素晴らしい構成の小説だった。最後に。バートンの『ちいさいおうち』と本作の表紙の絵は全く違っていた。人は知っているものに引っ張られるものらしい。

    ISBN:978-4-16-784901-6
    Cコード:0193
    文庫判 352ページ
    定価:650円+税
    発行:文藝春秋
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    ブックリヴュー:『図書館巡礼:「限りなき知の館」への招待』(スチュアート・ケルズ 著、小松佳代子 訳、早川書房 刊)

    作家で古書売買史家、本人のソーシャルメディアによると、オーストラリアの大学で教鞭もとっている著者が、2017年に発表した『The Library: A Catalogue of Wonders』の邦訳本。本書のために実地調査し、古今の図書館の物語をつづった内容だ。図書館は蔵書のコレクションの場ではなく、本のある空間と人間の関係性がよくわかる。世界最古の口誦図書館が、おそらく、中央オーストラリアで数万年かけて形成されたこと、15世紀後半から16世紀初期のカトリック司祭のデジデリウス・エラスムスの「手元にいくばくかの金があれば、私は本を買う。もしそれで残れば、食べ物や衣服を買う」という何かに取りつかれたような言葉、愛書家のイタリアのウンベルト・エーコ(1932~2016)の話は興味深かった。シミについての言及もあった。デジタル化が進み、何よりもタイパが大切らしい世代は、この生き物もいてこその、本の文化があることなどはいざ知らずなのだろうなと、少し寂しい気持ちにもなった。

    ISBN:978-4-15-209849-8
    Cコード:0098
    四六判 336ページ
    定価:2,500円+税
    発行:早川書房
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    ブックリヴュー:『渡辺淳一 恋愛小説セレクション 2 阿寒に果つ』(渡辺淳一 著、集英社 刊)

    渡辺淳一(1933-2014)の1973年の小説。自身の類まれな才能に苦悩し、男性たちとの関係に葛藤しながら、阿寒湖畔で自ら命を絶った17歳の天才少女画家時任純子と、彼女に翻弄された、作家、画家、記者、医師、カメラマン、5人の男性の姿を描いた話である。数年前に、加清純子という時任純子のモデルになった画家をたまたま知り、興味がわいて、本作を読んだ。それ以前、渡辺淳一作品のいくつかに触れたが、ある種のイメージができあがっていた。女流作家の作品が好きな私としては、受け入れられないものだった。しかし、デビューして数年後に書かれた本作によって、作者のスタイルを理解し、すっかりファンに。傑作。

    ISBN:978-4-08-781587-0
    Cコード:0093
    四六判 396ページ
    定価:2,200円+税
    発行:集英社
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    ブックリヴュー:『料理と人生』(マリーズ・コンデ 著、大辻都 訳、左右社 刊)

     カリブ海のグアドループ出身のフランスの作家マリーズ・コンデ が、2015年に発表した『Mets et merveilles』の邦訳本。1934年に生まれた作家の自伝であり、旅行記、青春物語、料理本ともいえる多面的な作品だ。レシピを随所に散りばめ、他者とのつながりについてつづっている。老齢や病気によって手を動かせないコンデが語り下ろし、口述筆記をイギリス人の夫が行ったという。私は、20年以上前に『心は泣いたり笑ったり:マリーズ・コンデの少女時代』(青土社刊)で、初めてクレオール文学に触れた。裕福な家庭で育った、20代前半までのコンデについて詳しい本である。同じ作家が書いているので当然だが、本書は、その延長線上にあり、贅沢な気持ち浸れる内容であるのに加え、人種やジェンダーについても考えさせられる。コンデが日本の作家の本を多数読んでいたことや、日本を旅した時のエピソードは、大変興味を引いた。

    ISBN:978-4-86528-377-8
    Cコード:0098
    四六判 304ページ
    価格:3,800円+税
    発行:左右社
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    ブックリヴュー:『紙の動物園』(ケン・リュウ 著、古沢嘉通 訳、早川書房 刊)

     11歳で中国甘粛(かんしゅく)省からアメリカに移住し、弁護士やプログラマーの顔も持つSF作家の作品。2015年の短編集『The Paper Menagerie and Other Stories』の邦訳単行本『紙の動物園』から7篇を収録した短編集で、本投稿では、同タイトル「紙の動物園」を扱う。舞台は、米国のコネチカット。主人公の「ぼく」であるジャックは、白人の父親と中国人の母親が両親である。カタログに掲載された「英語堪能で香港出身」の嘘のふれこみの母親を父親が買い、アメリカに呼び寄せ、誕生する。幼いジャックは、母親が作った折り紙の動物たちに癒され。しかし、成長するにつれ、アメリカ文化に同化しなければならないというプレッシャーを感じ、自分の伝統や母親から距離を置くようになる。大学生の時に、母親は病死するが、彼に遺した手紙で、ジャックは自分のルーツでもある彼女の生い立ち、そして我が母の、孤独と孤立を知ることになる。以上が物語の要約であるが、なんとも哀しい話だ。道を切り拓くとは、重い苦しみが付きまとい、さらに、家族ですら自分のことを理解しないのが人生なのだ。この世とアメリカは白人社会であり、彼らと彼らが作り上げた価値観によって、東洋人、ここでは中国人差別が存在する現実も、よく伝わった。自身を東洋人と思わず「白人」と思い込んでいる日本人の男性に頻繁に遭遇するが、そういう人以外に、本書はお勧めである。

    ISBN:978-4-15-012121-1
    Cコード:0197
    文庫判 272ページ
    定価:680円+税
    発行:早川書房
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    ブックリヴュー:『母 老いに負けなかった人生』(高野悦子 著、岩波書店 刊)

     映画評論家で、東京・神保町にあった岩波ホールの支配人高野悦子(1929~2013)さんが、96歳で亡くなった明治生まれの母・柳さんとの思い出をつづったエッセイ。初版は2000年。著者は、父の急死後11年余、柳さんを介護し、認知症から奇跡的に救い出した。この話を軸に、柳さんの自立した精神と波乱万丈の人生、映画に励まされながら介護に奮闘した日々、柳さんが叶えられなかった夢を自らの夢として歩みつづける著者の半生をふり返る。自分に命があり、介護や介助される身体ではない限り、間もなく訪れるだろう親の介護についてを考える内容だった。今で言う「認知症」を、ひと昔まで一般的だった「痴呆症」や「ボケ」と表現されているので、余計に現実的でもあった。自分が生きて健康ならば、親の介護は自宅でとも思った次第である。

    ISBN:978-4-00-602214-3
    価格:980円+税
    287ページ Cコード:0195
    発行:岩波書店