昔の林学者で造園家、学者でありながら、巨万の富を築いた本多静六が、晩年にまとめた生きる上での処世術をまとめた一冊である。
自分の「暮らし方・考え方」を戒めるために、時折、読み返す。年齢を重ねるごとに、この人が言っていることは、間違っていないと思うことが増えてきているようにも思う。江戸時代の終わりに生まれた男性が書いたもので、デジタルの世界になった現代であってもだ。
食事、昼寝を含む睡眠、歩行、性生活、衣類、住居と合理的な室内、仕事の進め方、時間の使い方、買い物、住居、人付き合い、情報収集とまとめ方、勉強法、旅行、語学の習得、貯蓄、商売、投資など、今の時代も、人々が、そして私も、気にすることが詰まっている。
「ウデの人からアタマの人へ」では、まず、技術の人になり、その後に、事務の人になりなさいと説く。事務の人が、途中から技術の人になるのは難しいとも言及している。これも、近年、私が強く感じることだ。
時代を超えて、読み継がれて欲しい。
平日版
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ブックリヴュー:『私の生活流儀』(本多静六 著、実業之日本社 刊)
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ブックリヴュー:『「ひとりが好きな人」の上手な生き方』(ティボ・ムリス 著、弓場隆 訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン 刊)
自分が内向型人間であると自覚したのは10代前半だ。一見、社交的、騒がしいグループにいるが、実は、内にこもり、1人で考えていたいタイプだった。少人数で話したり、ピアノを弾いたり、本を読んだりしている時がしっくりときた。外向性が素晴らしいという風潮で、ネクラという言葉に救われ、惹かれながら、人付き合いに苦労する中高時代だった。その後は、単独行動をよしとしたり、内向型の人ばかりのコミュニティに身を置いていたりしたので困ることはなかった。しかし、中年以降は、自分の意志に反し、外向型人間が主流の場に居合わせることは多々だ。数十年以上経っても変わらない風潮は存在するのだ。
本書では、フランス出身のビジネスコーチが、「内向性を才能として社会のために役立てる最良の手段は、自分のそうした性格を適切に評価することだ」とし、「ひとりが好きな人=内向型」が、生きやすくするための方法を指南する。まず、10の指針をあげ、その後、内向性の理解、受け入れ、その性格を最大限に活かして、本来の力を発揮し、追及する道を説明する。自身の内向性を早くに気づいていた読者であれば、すでに日常化していることもあろう方法や、もしかしたら自分は内向型なのかもしれないという人には、役立つことがつづられている。
そんな中、著者は、外向型人間の特徴にも触れる。目が鱗であった。長い間、ぼんやり分析していた彼らについてよく知るべきだったと思った。